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つばさんぽ。のうぇぶさんぽ。

新卒でニートになった男のブログ。主に心理学、田舎暮らしについて発信中。

「小林さんちのメイドラゴン」と「亜人ちゃんは語りたい」の共通点について考えてみた

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 目次

心理学とか書くって言いながら、またもや雑記です。アニメ歴3か月のぼくが今期観ている「小林さんちのメイドラゴン」と「亜人ちゃんは語りたい」について抱いた共通点について書いてみようかと。

 

 

トーリーに関しては、以下のリンクからどうぞ。公式HPです。

 

小林さんちのメイドラゴン

 

亜人ちゃんは語りたい 

共通点その1:マイノリティ

 

2つのアニメを観て思ったのが、どちらも「少数派」の話だなあってこと。ドラゴンにしても亜人にしても、人間から見ればどちらも少数派であり異質な存在であるということ。そんな少数派の生物たちの日常を描いた作品であるということ。

 

 

LGBTに置き換えてみた

 

で、少数派の話だなあと思ってから、自然とLGBTの人たちが連想されたんですよね、ぼくの中で。

 

LGBTってのは、「レズ・ゲイ・バイ・トランスジェンダー」を合わせた呼び方のこと。

 

kotobank.jp

 

メイドラゴンと亜人ちゃんの世界では、人間が多数派で、ドラゴンや亜人が少数派。ぼくらが生きる現実社会では、心と体の性別が一致している人が多数派で、LGBTのひとたちが少数派。

 

 

世界は多数派に合わせて作られている

 

メイドラゴンでは、ドラゴンが人間に扮して人間と同じように生活してます。で、人間に扮し生活するドラゴンたちは、自分の個性を人間大に合わせて生きている。空も飛ばない、火も吹かない、パワーもセーブしてるなど。

 

亜人ちゃんでは、デュラハンの町ちゃんが通う学校の通学カバンはこのタイプなんですよね。

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普通に多数派の人間が使う分には特に大した不便はないわけです。でも、デュラハンの町ちゃんは自分の頭も持ってなきゃいけないんで、このタイプのかばんだと両手が塞がってしまい不便なわけです。満員電車とか危ないわけです。

 

つまり何がいいたいかと言いますと、少数派は多数派に合わせて生きていて、世界は多数派に合わせて創られているんじゃないかってことです。

 

LGBTの人たち関して言うと、LGBTであることを友人に隠している場合、「好きなタイプってどんな人?」って話になった時に、「本当は男が好きだけど、それは言えない。だから新垣結衣が好きって無理して言わなきゃいけない」って状況になってることもあると思うんですよね。「男は女が好き」っていう常識みたいなものを前提で話が進むから、それに合わせてる。トイレにしても、日本には男と女でしか区別されてないし。

 

 

あと、ある一定のグループを一括りにして、個人を見てないこともあるような気がします。「日本人はこうだ!」「オタクはこうだ!」みたいな。もちろん、全体の傾向を見るときなんかには便利なんでしょうけど、個人と接するときにはまた別の見方が必要だと思うんですよね。

 

 テレビに出てるLGBTのタレントさんは、明るくて元気な人が多いような気がします(テレビで見る限りは)。IKKOさんとかはるな愛さんとか。だからって、一般のLGBTの人も明るいかっていうとそんなことないと思うんですよ。もしかしたら「LGBTの人はみんな明るい」っていうイメージのせいで苦しんでる人もいるのかなあとか思ったり。

 

共通点その2:理解者の存在

 

メイドラゴンも亜人ちゃんもマイノリティの話(とぼくは思ってる)っていうのと、他に共通してるのは「理解者」がいるってことだと思うんですよねえ。トールやカンナからしたら小林さんだし、ひかりや町からしたら先生や家族。トールなんか、商店街の人と仲良くしてるけど、その誰にもドラゴンの姿見せてないしね。てか、ドラゴンっぽいことは小林さんの前でしかしないよね、基本的に。

 

あるいは、「理解者」じゃなくて「理解してくれようとしてる人」ともいえるかもしれないなあと。人間にとって、ドラゴンや亜人は未知の存在だから、理解できる人なんていないのかも。人間同士でも無理なのに(少なくともぼくは無理)。だから理解しようとするというか。そういう姿勢が嬉しいなあとか。

 

「あなたのことはわかってる!」とかその人の一面しか見てないのに平気で言ったり、推測でしかないのに「あいつはだらしがないやつ!」って決めつけにかかってくる人ってけっこういるけど、全く理解してないというかする気がなさそうにみえてしまう。本人がどういうつもりで言ってんのか知らんけども。

 

 

で、自分の理解者になってくれる人ってのは必ずしも家族ではないのかもしれない。むしろ家族の方が「理解した気になっちゃう」んじゃなかろうか。時間だけは重ねてるからね。

 

ぼくの場合、そもそも自分のことすらよくわかってないのに、他人のことはわかってるとか言えない。

 

 

 まとめ

 

小林さんちのメイドラゴン」「亜人ちゃんは語りたい」のアニメを観て、世間の常識やイメージじゃなくて、その人個人を見て接したいと思いました。人と違うことが生きにくい世界ってなんか嫌。 そもそも、普通ってただの幻想なんちゃうかな。

 

アニメ好きな人は周りにいるけど、こうやってアニメから話広げた妄想に付き合ってくれるのか不明なんで、時折こんな感じのも書こうかしら。

 

こないだ、待望のトールの水着シーンがあって最高。勝手に脚細いと思ってけど、ドラゴンやからか意外としっかりしてた。